• (2)秋月龍珉の声 ―西田幾多郎・京都学派と滝沢克己ー

    2017.11.24

    「西田先生のお弟子さんたちのうちで、いわゆる京都学派と言われる人たち、またその他のお弟子さんたちの中で滝沢先生のこのような指摘に匹敵するようなことを、西田先生に向って言った人を私は知らないのです。滝沢先生は早く戦前に『西田哲学の根本問題』という名著を書かれて、なみいる西田先生の高弟たちに向って「あなががたにはまったく西田哲学が分かっていない」という批判をされました。私はあの批判は当たっていたと思います。ほんとうに西田哲学のこの肝心要の大事が分かったのは、戦前では滝沢先生、戦後は務台(理作)先生と西谷(啓治)先生ぐらいのものではないかと、正直私はそう思うのです。」

    「また、こんな話もあります。田辺元博士が、西田先生に迎えられて京大教授となり、西田哲学に強く影響されながら、一方で厳しく西田先生を批判されたことは周知のところですね。そのとき西田先生の高弟たちはほとんどが田辺説に傾いた、そのころのことです。西田先生が「滝沢君だけは田辺説にけっして賛同しないだろう」と言われたというのです。 以上のような話をいつか亡き鈴木大拙先生に話したことがありました。大拙先生は、私の話に深くうなずきながら言われました、「そうか、西田がこんなことを言うとったわい。 『自分が育ててきた京大の弟子たちよりも、自分の考えていることをいちばんよく理解している男が一人いる。それはキリスト教の男だがな』と。それが君の言う滝沢さんという人だろう」。これは西田哲学と滝沢神学(インマヌエル哲学)との間を語る重要な証言だと、私は思います。」八木誠一・秋月龍珉『ダンマが露わになるとき』
       (青土社、1990、90~91頁)より

     

    なお、「存在者逆接空」の哲学者・鈴木亨も滝沢と京都学派に関してほぼ同様の指摘をしている。『滝沢克己著作集 5』 (法蔵館、1973)の「解説」5~6頁参照のこと。