• (9)浜田義文、飯島宗享の声―人間主義、唯物論ー

    2017.11.24

    よくある最近の人間尊重、人間を物として扱ってはいかんというふうないい方が、普通されるでしょ。それを滝沢さんの場合は、まさに人間も一個の物であると言い切りますね。そして、そのことがかえって人間、真の意味での人間尊重を生み出すのだということが、僕には非常に滝沢さんの議論の爽やかな点で、これもやっぱり不可逆性ということから出てくるんだろうと思うのですよ。何か近代の立場というのは、人間尊重ということで、人間を一個の物よりもう一つ上のところへやろうとするものだから、逆にかえってだめになってしまう。そこの非常に大事なところをおさえることになっているのは、滝沢さんの思考のユニークな点じゃないかと思っているのです。…
      最近の唯物論でもマルクシズムでも人間の問題ということを言うときに、人間も物だというその基本のところを曖昧にしたままで、今までのああいうのではいかんから、、もう一つ別の何かをもって来て人間尊重を考えようとするいうふうな、だから、唯物論の原則はかえってゆるめられるような形になって、せっかくの唯物論の積極的なものがかえって落ちるようなことがあるように思うのです。『畢竟』(法蔵館、1974)50,51頁より、浜田義文の発言

     

    僕が非常に興味があるのは、そういうことを唯物論としての枠の中で、今までの唯物論にはこういう限界があった、しかし真のあるべき唯物論という形から考えるとそこまで降りていって客観性と触れる場所をもう一つもった場所まで考えて、しかもあくまで唯物論的に考えようとなさったこと、つまり、それが唯物論を豊かならしめる考え方だという形で滝沢さんが出してこられたことです。そしてこれがやっぱりユニークなことだと思うね。またそうなって初めて、本当の客観性に対する主体の関わりとか、そういう意味での主体の問題の生きてくる場所があるわけですね。『畢竟』98、99頁より、飯島宗享の発言