• 中学生にもわかる滝沢克己(その3)

    2017.11.25

    滝沢克己協会提供(前田保)

     

    相対的並びに周辺的非連続の連続が「対もの関係」だってこと、この関係もそれだけで在るんじゃなくて「絶対の非連続の連続」と「即」の関係にあるんだから前者と後者は別物ではないこと、それどころか前者における積極的なものは後者からくること、だから後者が大事なんだって、そんなことが言いたいんでしょ。僕たちの常識とは反対だけどね。


    うまく整理してくれたね、そのとおりだよ。


    でも、「相対的非連続の連続」ってのは何なの。「対もの関係」だから、それは僕たちの生きているこの相対的な世界のことなんだろ。


    その通りだよ。それが「非連続の連続」っていうのはこういうことだよ。僕たちはこの世に生を受けたとき、いつ、どこ、誰、をすでに免れない。つまり、誕生日や生まれ故郷が、特別な時間、特別な空間として区別されるし、自分は特定の親の子である、ということも決まっている。
    要するに、客体的主体としてこの世にお招きを受けたとき、もう時間的・空間的、身体的・精神的、血縁的・地縁的等々の二重性の中にいるんだ。
    この二重性も受取る他ない事実だということ、それをしいて基礎付けようとすると、絶対主体の決定とでも言わざるをえないわけだけど、絶対主体なんてこの世にあるもの・居るものじゃないんだから、決定するものなき決定なんだけど、そんなことをいわざるを得ないんだね。
    そして、そういうこの世の様々な二重性を「非連続の連続」といってる。というのもそれら二重性の各項は、区別される(非連続)けど別々ではない(連続)、つまり不可分・不可同だってわけだね。
    それに時間・身体・血縁等々が先で空間・精神・地縁等々が後、つまり、ここでも不可逆といえそうだ。でもここでの不可逆は、主体的主体と客体的主体の二重性の場合とちがって、相対的な不可逆性なんだ。
    生命が始まり、ひとつの身体が産み落とされる、そのとき特定の親がすでに立っているわけだね。でも、時の開始は同時に場所の限定であり、場所無しにありえない、また、人間に於いて身体は生命的なもの・精神的なものであり、それ無しにありえない、親も子無しに親じゃない。だから相対的な不可逆性という。
    これをまとめて相対的な非連続の連続(不可分・不可同・相対的な不可逆)というんだ。


    ふーん。よく考えないとむずかしいね。でも、周辺的というのはどういうこと?


    それはね、相対的な非連続の連続のどの項も、そのなかにさらに非連続の連続を派生させるっていうことだよ。


    たとえば?


    「時間」でも「空間」でもいいけど、時間を考えてみよう。そうすると、直線的時間でも円環的時間でも刹那滅的時間でも、僕たちはイメージに描いてみるよね、描かないと考えられない。そのときもう空間的なものが出てきちゃうだろ。イメージは空間に展開するからね。時間だけの世界、空間だけの世界は考えられないということだ。ここには思考とイメージの「非連続の連続」も見られるね。
    だから世界はマトリョーシカ人形みたいに、入れ子型になっているとも、ライプニッツのモナドの世界や華厳仏教の世界のようだとも言えそうだね。


    ひとつひとつどんなものにも全世界が宿っているようなイメージかな。


    そうそう、そのとおりだよ。その尖端まで「非連続の連続」だって言う訳だね。項のひとつをそれだけで取り出すことは出来ないんだ。どんな一つのものも全世界につながっている。複雑系の発想はここに入っていると思うよ。
    そして大事なのは、そういう世界が「絶対の非連続の連続」の主体において、その主体の決定の下にあるって言わざるをえないってことだね。それは認めるほかない事実。事実といっても相対的世界内部の事実とは次元が違うから「根源的事実」とか「原事実」などというわけだけど、これがあるって事がけっきょく一番大事なんだよ。
    それがないと、世界は「虚空に浮かぶバラバラの塵」となって散らばってしまう。僕たちの常識がそういうものでないか、疑わしい。


    むむ、きびしいね。でも「絶対の非連続の連続即相対的並びに周辺的非連続の連続」っていうのが壮大なビジョンを含んでいることは判った気がする。


    うれしいね。とりあえずそれだけでも伝わるといい。アインシュタインのE=mc2乗は残念ながら究極の兵器に応用されちゃったけど、滝沢さんの理論は理解されてよい方向に応用されることを待っている。
    でもそれが難しい。「理論」というものについての常識的な考えを覆さなければならないからね。最後にそういう話をして終わろうね。「納得」ということ、「由緒」ということを考えるんだったね。