• 中学生にもわかる滝沢克己(その1)

    2017.10.18

    滝沢克己協会提供(前田保)

     

    滝沢さんは偉い学者だそうだけど E=mc2乗みたいな核心的な表現はあるの?


    そうだね「絶対の非連続の連続即相対的並びに周辺的非連続の連続」がそれにあたるかな。


    なにそれ?


    生きた世界を根底から捉えたときの枠のようなものかな。しかし、最初の所が大事だよ。


    絶対の非連続の連続というところ?


    そうだね。これを「客体的主体」とひとことで言ったり、もっと詳しくいったりする。たとえば、「絶対的主体即客体的主体の二重の二重性(不可分・不可同・不可逆)」などとね。みんな同じ事を言っているよ。


    表現は簡単な方がいいや。「客体的主体」って何なの?


      そう。「招かれた」といったけど、そういう風に受動的だということだね。人間は、といってもこのボクのことだけど、本当の主人にお招きを受けたお客さんだということ、そこにボクのほんとうの尊厳と自由があるんだ、出てくるんだ、というんだ。
     大事なのは、人間をそういう風に客体と主体の二重性でつかむということだよ。関係といってもいいし、構造と言ってもいいと思うけど。
     このボクはただポツンとそれだけであるんじゃないし、いるんじゃない。はじめから二重なんだ、関係、構造なんだ、ということだね。そしてそうなっているのは認めるほかない事実なんだということだよ。受身だとね。ここが常識と違うところだからしっかりおさえなければいけない。


    たしかに違うね。ぼくたちは学校で「人間は個人として尊重される」とならったし、「個人の尊厳」という言葉もならった。憲法や教育基本法にあるからね。個人の二重性なんて聞いたこともない。


    そうだろ。それは困ったことなんだ。


    えっ、どうして。


    たしかに個人は尊重されなければならない。さっき人間が主体だ、自分自身の主人だと言ったとおりね。でも、それだけだと人間は宙に浮いちゃうんだ。だって、もしそれだけなら人間は何をしようと勝手ということになる。レール無しに突っ走らなければいけなくなる。そんなこと実際出来ないんだ。人間には耐えられないんだよ。


    うーん。よくわからないけど、二重性といえばそうじゃなくなるの?


    そうなんだよ。人間を客体的主体の二重性でとらえるということは、同時に本当の主体を考えることだからだよ。つまり、人間をお客さんとして招いた本人をね。それが絶対的主体とか主体的主体とよばれたものだよ。人間はお客さん(ゲスト)としての主人(ホスト)で、ほんとうのホストはそのゲストそのものを招いたものだね。だから、客体的主体というのは詳しく言うとけっきょく「主体的主体即客体的主体の二重の二重性」ということになるんだ。さっきいった人間における二重性と、その人間と主体的主体との二重性。で、二重の二重性というわけだ。


    ふーん、よくわからないけど、それを考えると人間が宙に浮かないというの。


    そうなんだ。だって、主体的主体のことを考えるということは、人間には生きる上での招きが来ているということ、自分で決める前にそれがもう来ているということを知ることだからだよ。レールがあるとね。この世に生を受けた瞬間から。だからその上を進めばいいんだということになる。足が地につくんだね。宙に浮いていた足が…


    でも、それだったら人間は主体的主体とやらの「いいなり」で、自分で敷いたんじゃないレールの上を走らされるということになるから、自由どころか奴隷になっちゃうし、尊厳なんてなくなっちゃうんじゃない。


    そう、でもそう考えるのは、人間がポツンと居てそれだけで尊いと考えているからにすぎないんだよ。そうとしか考えられないということは、実際にそうだということにはならないんだ。人間のほんとうの尊さは、人間のものではない(というのは人間の誰も「招き」を頼んだ訳じゃないからね、それは本当のホストが決めたと言うほかないんだ)、人間のため、その人ひとりだけのための生きる基盤(招き)が誰のところにも来ているところにあるんだよ。人間が自由だというのも、全人類共通のその基盤からの招きに従うところにあるんだ。


    うーん、よくわからないけど、それは神さまみたいなものを考えているわけ?


    そうだね。「主体的主体」を宗教では「仏さま」とか「神さま」といっているんだ。古くからある優れた宗教はあの「二重の二重性」ということを知っていたんだよ。でも「主体的主体即客体的主体」ということは宗教だけの話じゃないんだ。むしろ宗教に興味のない普通の僕たち人間すべてひとりひとりのあり方を言っているんだ。だから、宗教もこの「ことわり」の外に出られないし、それで充分なんだね、それは宗教の真実の基盤でもあるからね。


    宗教も含む理論なのか。でもその「ことわり」ってのはどういうこと。


    それは「即」というところに隠されているんだよ。それを取り出すと「不可分・不可同・不可逆」となる。


    えーえー、ちょっと待って。訳わかんない。


    そりゃ、簡単じゃないんだ。だからノーベル賞級なんだ。それはともかく、その話をしなければいけないね。